前田 彬
MAEDA Aki
「空間へのドローイング」
いつも気付かない内に、歩きだしている。
この先に起こる事が気になって。
必死な時が一番安心する。
その時が終わると、僕はその時間の事を忘れてしまう。
また歩き出してしまうから。
歩いていない時が一番怖い。
今に押しつぶされそうになる。
そして、何もしてこなかった自分の事が嫌いになる。
怠惰な自分は戒めよう。
でも僕は本当に何もしてこなかったのだろうか?
この3年間を振り返ろう。
文章で書いてしまうとかっこいい言葉を選んでしまう。
そして、話してみよう。
また自分の今までを忘れて、押しつぶされてしまいそうになった時。
僕の足跡が残っていることを、僕自身が確認できるように。
“a walking man as he creates”
2017
映像作品 / セルフドキュメンタリー
仲宗根 みなみ
NAKASONE Minami
陶芸表現における個々と多々の関係性
私の脳裏に焼き付いて、忘れられない場所。
私の記憶の場所。
「場所」は、複数のモノたちの存在で成り立っている。
その場所のモノたちは、私の気づかないところで、
小さな変化を重ねている。
変化していく「場所」を、焼くと変化しない「土」に刻みたい。
私は個であるが、私の記憶の場所(個々)が集まることで、
私(多々)になる。
私は個々であり、多々である。
つながるおさら - 1F 5F
陶器
15 × 24 × 17.2cm
左 / つながるおさら - 陶芸室 01
右 / つながるおさら - 陶芸室 02
陶器
16.5 × 14.5 × 6.6cm
つながるおさら - 帰り道
陶器
16.5 × 14.5 × 6.6cm
照屋 美紗
TERUYA Misuzu
収集
私には幼い頃から気に入ったもの、美しいと感じるものがある
宝石 香水瓶 携帯電話 人 もの 地図 記号 ...
どうしてもこれらを大量に集めたいので、紙媒体で大量に集めている
切り抜いて種類ごとに分類し一纏めにする
しかし、これは「収集」過程の一部である
『ヒト』
紙、硬化樹脂
17.5×21.8×4.6cm
『チズ』
62 × 47cm
『キゴウ』
部分
亀島 英莉
KAMESHIMA Hirari
「記憶、あるいは白昼夢」
人々は
誰もが持っている昔の記憶を
風景・場所・人物・言葉・遊び・モノ・感情...
“ 記憶の鍵 ” によって思い出す
思い出した過去や
新たな一瞬の出来事・白昼夢や空想は かけら
“ 記憶の欠片” だ
“ 鍵 ” はどこにでもある
それによって生まれる “ 欠片 ” は、私の生きている一瞬である
私を形成するのは、“ 記憶の欠片 ” たち
やはり、やめることなく繰り返す「記憶、あるいは白昼夢」は大方、“ 私自身 ” なのだろう
『記憶の欠片(時々、白昼夢)』
木材、布、言葉、文、写真用紙、ノート 等
関 涼香
SEKI Ryoka
「傘と空間」
傘をさした時、その中の空間は絶対的に「自分の世界」でありながら外側からの 影響に対して非常に弱く頼りない。外側に良くも悪くも影響される「自分の世界」 とは,すなわち「自分自身」そのものなのではないのか。
それは本当に「守られている」ことになるのか。
自分と世界はどのように越境するべきなのか。
そもそも自分とはいったい何処にいるのか。
そんなことを考えながら私は傘をさすのである。
『越境』(部分)
傘、映像
サイズ可変